本日の北京(2020年ブログ版)

軽く、リアルに北京を語るライターブログ

She Shanghaied him!

上海はご存知、2500万人が住む中国一国際的な4つの直轄市の一つ。北京が北方のモンゴル族など辺境の多民族王朝の首都を経験しセミ砂漠の乾いた大地で巨大な権力の中心地になってきたのとは対照的に、上海は緯度もほとんど東京と同じ気候。1930年代にはNYとロンドンと並ぶ世界の3つの魔都だった歴史をもつ。この上海の100年前の記憶はすごいもので、今でも徹底した国際的な合理主義や美意識に裏打ちされた資本主義爛熟の持つドスのきいた華やかさとその腐った黒い部分の両方を持っているように思う。

 

そこで、この題名に使った上海という動詞だが、これは「騙して何かをさせる」という意味で使われる英語らしい。すごい。この動詞を目にしたのは24年1月1号のニューヨーカー誌のHow Did Polyamory Become so Popular?という記事だ。HBOのストーリーで、主人公の女性が新婚相手を境のない自由な性の交易場に騙して招き入れたという文脈だ。こんな話がHBOなんていうメジャーな娯楽ドラマのストーリーとして登場しているというのだ。

 

昨日北京の大使館街で会った知人も彼女の仲の良い北京市に住むお金持ちの親を持つアラフォーのママ(子供とマッチョでかっこいい旦那さん持ち)が次々に「境」を超えた関係に陥っていると話す。その彼女のお相手たち(これまでに3人)もみんな既婚者でそんなに見た目は良くない子持ち男性だそうだ。満たされないものがあるから求めてしまうらしい。この女性は親の脛で食べていけるので、自分も仕事もしていない。ご苦労無しで経験が薄いが素直なタイプの感じの良い女性という。

 

他にも北京の外資系の同じくらいの年の人たちの食事会に誘われて行ったら、単なる食事ではなくスワップ相手マッチング?も兼ねた会だったと分かって、逃げ出してきたとか。みんなそれなりに稼いでいる既婚者たちが既成の境を無視して活動しているのだ。

 

いやはや、噂にはこの大地でもあちこちで不倫がすごいよと聞いてはいたが、そんなに身近にあると聞いてのけぞった。中国にも日本と同じように境のない!仁義なき!結婚ボーダレスな人々が一部にはいるようだ。

 

さっきの雑誌はアメリカのメジャー娯楽・文化でもそういうもはや夫婦の2人だけではなく、3人や4人から成る結婚?!を描いたものが大衆化しつつあると指摘する。外部の刺激が介入することで、逆に結婚という煮詰まりやすいInstituionがより強固にされるのじゃ、という主張も紹介している。まあ、確かにそういう一面はあるだろうが、これをどう理解すべきなのか?高度な友情じゃだめなのかな?

 

上海の友人にも聞いて考えてみようと思う。

これ、本日の北京なり。

 

 

姉弟カップルと経済用語で語る結婚と恋愛

中国科学院心理なんとかの組織から姉さん女房カップルの話題のトークに出てくれと頼まれた。調べたら、日本も1970年10%が20年には約25%に増えている。(でもよく内分けを見るとほとんどが1、2、3歳上なだけ。かつての圧倒的な男性年上多数から、同い年を中心に男性年下と年上の両側に広がって多様化しただけ)。

中国でも経済が進んでいる浙江では16%にまで増えているという。これ(男年上が当たり前の崩壊=男年下など組み合わせの多様化)は少子化や晩婚化、非婚化と並んで文明の進歩と共に我々人類が向かう道という可能性が高い。

中国での悩みはやはり伝統的な結婚観は男が上、女が下で、姉弟カップルへの風当たりが強いこと。この前もそこそこ有名な女性芸能人金シャ(草冠に沙)が自分より19歳下の演劇大学出たてで経済力のない男子と結婚したことに対して、「逆玉だ」と批判が噴出。

昨日のトークはじゃあどうしたらいいか?これは社会のどういう一面を表しているか?結婚と恋愛はどう違うのか?愛はあるのか?夫婦はどうしたらよいのか?みたいな話になった。

気さくで明るいけど洗練とは程遠いおじさん丸出しの某地方大学の心理学の先生曰く、結婚の目的は優れた遺伝子保存という生物的な側面があるから女性は男に「資源」を求めるのは当たり前だとか、いっちゃう。

そもそも、恋愛と結婚は「資源」とか、「つり合う」とか財布とか経済用語で語られる。認知の調和、価値観、新鮮感、責任感という言葉もでてきたが、やはり資源、という見方が一番わかりやすくて聞いている方もしっくりくるんだろう。

「殺豚」という言葉がある。キャリア重視で恋愛への思いを押し殺して頑張ってきた女性がある日、年下の男にアプローチされて溺れるケースがあるという。そういう悪いやつに騙されないように、マザコン、自己中、責任感の有無をチェックしろ、特に、財布に気をつけろとかいう。

勇気を持って好きな人がいたらそう表現したらいいといったら、もう1人のテレビのリアリティショーで心理カウンセリングもしている先生は(彼女はまともで蘊蓄を理路整然と話すので説得力あり)いきなり恋人じゃなくて、最初は友人になれ、なんて超初歩的なアドバイスをしていて驚いた。

さらに、自分の心理指導の商品販促で、夫婦喧嘩の緩和方法、恋愛したい相手との会話の仕方や、結婚するのに適当な相手かどうかをチェックする上手な聞き方も教えるという。なんかなあ、そんなことまで参考書をみて戦略的に賢くやるということか。

司会者も愛は本当にあるんでしょうかね?といい、まずそこからですか?というのが今回の感想。文革時代に青春をすごした今の適齢期の子供の親は「アレンジに従い、運命を受け入れる」結婚だった人がほとんどという。今読んでいる李銀河の90年代のインタビューでも恋愛は穢らわしいと思っていて性方面は全くの無知だったというのが大方。驚きだ。

自由で熱い愛を前提としていない親と社会に、面子の手前さっさと結婚しろと言われているのが今の80後達だ。やっぱりこの国の愛の現時点は我々が想像する以上に遠いところのようだ。

これ、本日の北京なり。

 

 

 

100M水没もなんのその、記憶も水没?あるのは明日への奮闘のみ:三峡の港町、重慶・万州

先週は重慶市の万州という揚子江の港町に行ってきた。
20年前に長江の三峡ダムのために水をせき止め、街の2/3が水没し60万人が移民させられた。現在は170万人が住む長江の4級地方都市だ。
北京からは毎日1本だけ直行便が出ている。飛んでいって驚いたのは飛行場は山の天辺を削って作ったところ。帰りによくみたら、真っ直ぐにのびる滑走路の先は断崖絶壁。助走してタイヤが地面に擦れる音がなくなったと思ったら機体は持ち上がっていないのに既に我が飛行機は空中にあり、エンジンで空飛ぶ音に変わっていた。
窓の下に広がる霧で白くなった景色の先にはよく見ると長江がニョキニョキと蛇行し、それにしがみつくようにしぶとく生き延びているこの街が見えた。
写真にあるように、この港街で最も栄えていた岸辺の中心部は6割以上が目の前を流れる長江に沈んでいる。人々は移民させられた。

三峡ダムで街の2/3が水没した。移民博物館の写真資料より
一方で、かろうじて残った3割の山の天辺に当たる土地に、その後20年の間に30階建ての高層ビルを所狭しとニョキニョキと建てている。綺麗な遊歩道も整備され、マラソンをするには最高の環境もできている。
まだ、建設中や建って間もないキラキラの近代的なビルの前を日焼けしてシワシワのお婆さんが籠に野菜や果物を入れて地べたで売っている。砂漠の淵で人々が早足で歩く北京とは明らかに違う湿度と空間と時間。
そこでは、まるで何事もなかったかのように53度の白酒(レモンの白酒とやらも飲んだ)とピリ辛BBQ魚(20年前からブームになったこの料理は万州が元祖らしい)を食して闊歩している地元の人たち。「最初に上海に移民した人は一番得したよ。あっちの不動産を転がして儲けて、戻ってきてここでも不動産を買っているよ」とあっけらかんと話す。彼らをみて、中国の発展の乱暴さとそこで生きる庶民の異次元の活力に圧倒された。
どおりで家に閉じ込められる(だけ?の)ゼロコロナくらいでは彼らはびくともしないわけだ。先祖代々の墓や家、畑のある土地から追い出され、自分や親戚はどこか別の土地でゼロから出直せ、といわれてもやってきた人たちだ。
この辺の感覚は本当に私にはわからない、苦労の連続の中国の人にしかわからないリアルさなのだろう。彼らには「どう生きるか?」以前に、まさに、生きること自体が問われてきたのだろう。これ、万州で感じたことなり。
 
PS長江に浸かったの巻き
マイナス天気の北京と違って万州は20度前後もある、南は良い。長江で元気に泳ぐ市民たち。そして、長江に行ったことを体感しようと、水に触りたい衝動にかられた私はこの階段を下がって屈んで手を出そうと思って足を一歩進めた瞬間、階段の緑苔がくにゅ〜っと私の足をさらうではないか。すってんころりん!半身ごと長江に浸かってしまった。
幸い尻餅だけで大きな怪我なく無事。ただ、その後はピタピタというジーズンから水が滴る音とクチュッ、クチュという靴から聞こえる不思議な音をさせて地元の洋服店に飛び込み、着替えをゲット。ずぶ濡れの私を更衣コーナーに入れてくれる(電子レンジがあるスタッフ用スペースだったけど)大らかさに救われた。
教訓:南方の苔には要注意!(北風に擦れっからしの北京には苔なんてありません!)
 

鉢巻きをして病院に行ったの巻き:急速なデジタル化!

先週、あこそだけは行きたくないと家にあった薬で我慢していたが、やはり行ってきた。高くても遠くても(風邪で3万円位ザラ)外資系の病院へ行くことも考えたが複雑な病気じゃないし、少し体力も回復して来たから(元気でないととても一人では行けないのが病院だ)近場の地元の3甲(規模水準ともにトップ)レベルの病院に行ってきた。

1)スマホで前日に予約:前よりずっと楽にできるようになった!

前日にスマホで自分の微信と紐付けし、パスポート番号などあらゆる個人情報をインプットして自分の臨時受診カードを発行。(スクショしておき受診カードとして使う)

次にスマホで予約。予め50元(約千円)のヒラレベルの医師の診察料を微信payで支払う。(専門家という上のレベルになると100元、300元とガンと上がる。でも、予約はかなりしやすくなった。昔は全然予約取れなかったが、改善されている。)

2)診察券発行 

当日は病院建物の外に置かれた入り口の機械でQRコードをかざして診察票をゲット。私は「診察券発行」ではなく間違って「予約」を押してしまったので混乱。私と同じく機械の使い方が上手くいかない人たちが群がる中に入っていき、係の兄さんに声を大きくして頑張って聞いたらイライラしながら「だから予約じゃなくて票受け取りを押すんだよ!」と叫ばれ、再びトライするとレシートが出てくる。第一難関突破。 因みに英語とか多言語はもちろんない。ネイティブレベルの中国語と凹まずに前進する強い意志がなくては病院の診察室へも辿り着けない。

3)診察室にたどり着く

診察券を持って、2階の心臓科・腎臓科総合受付に到着。そこで再び受付があり、スキャンしてもらうのだが、そこに34本の手が同時に伸びる🫱🏼 私も負けじと一緒に伸ばす。ピッと鳴ったので入力されたようだがその後、私がどうすればいいかかは誰も教えてくれない。心臓科と他の課の電光掲示板しかない。腎臓科はどこだ?ウロウロしてまたさっきの所に戻ると、他の人が「ああ、腎臓科はこの廊下の先を曲がった所で待つんですね」と確認している会話をキャッチしたので、そうかと着いていく。この場のルールを悟る鋭い観察力も必要だ。

科に到着したら、スキャンしてもらうと、個別の医師の診察室の電光掲示板に呼び出しが出るシステム。ズル込みできなくなってとても良いシステムなのだが。。。

受付に伸びる3本の手。デジタル化されても残る「厳しさ」。

 

4)いよいよ診察+支払い+検査+薬

肝臓科の診察室が並んでいる廊下に到着。診察室前の電光掲示板には私の名前が出ている。どうやら遅くきたので、飛ばされたらしい。受診中なので、ドアの外で待つ。ドアにはいみじくも「1医師1患者、プライバシーを守れ」とデカデカと書かれている。これまでの常識が「1医師多患者」だったからだ。ようやく、診察中の人が出てくる、ドアの前で戦闘体勢でピタリと待機している私を後ろからすり抜けて診察室に入ろうとする男性がいる。「美人さん、すぐ終わる質問だから良いかな?」と丁寧に聞くもんだから、思わず「哪…好吧」(いいよ)と彼を許してしまった。ら、なんとその人と全く同じ双子のクローン男性もチョロチョロと一緒に入り、先生の前の椅子に座っているではないか?で、その人が終わったら、次はクローンが先生にいろいろ聞いている。話が違う!2人も!と思うが我慢して黙って待つ。クローンも出ていったら、次は若い女性が入ろうとする。今度は毅然とNO。それでも女性も諦めない。先生に、「私、もう番が来ていて待っているんです〜」とすがり先生がその女子に「ちょっと待っていてください」と諭し、ようやく私が先生の前の椅子に着く。もう、ここまでくるのが大変なんだよ!忍耐力はもとより、気迫と運動神経が試される。

患者のプライバシーを守ろう!1患者に1医師ネ!

先生はどうしましたか?ときき、ああそう、それじゃ、検査は自分でして来て、結果を持ってまた来いという。その結論に達するまでの質疑応答約3分。中国の診察はどこもめちゃ速い。もう11時近くで、検査結果が出るのは昼。「私(医師)は午後はいないから、別の先生の診察券をもう一度取得してきて」という。先生の見立てはもう出ていて、抗生物質を処方してくれているし、私が午後また1から出直しは面倒だなと思っていると、先生曰く、「じゃあ、ネットで連絡してくれたら、検査結果を見てあげる」といって「好大夫」のQRコードを検査指示書と処方箋とともに渡してくれた。

 

診察室を出て、また、機械に行って検査代と薬代90元を支払う。こちらは全ては前払いだ。そのレシートを持って次は検査に行く。一瞬迷うが、屋外の簡易専用トイレを発見。(使用済み検査キットが散乱していて汚かった。病院のトイレが汚いのは本当にげっそりする)キットは自分で取って済ませ、隣の窓にレシートとQRコードを提出。また、本館に戻り薬をゲットして終了。家に帰り、すぐに薬を飲んだら、症状はみるみる良くなった。もっと早く行けば良かった。

コロナの影響?血液と尿検査は屋外にて〜

モールはきれいになったが、病院にはまだ残る残念なトイレ


5)スマホで検査結果をチェックと先生の診断

薬も効いてきたし、もう大丈夫だが、一応、検査もしたから念のため、結果を確認。検査実施から約1時間後にスマホで確認できた。

ただ、その検査結果の医師の説明は、午後にもう一度病院に行って1から別の医師に診てもらうのが嫌なら、プライベートの有料サービスを利用する。朝の先生がくれたQRコードから医師への相談専用のプラットフォーム「好大夫」にいく。「好大夫」は前からある私企業のデジタル往診プラットフォーム。これが公共の病院サービスの延長部分を担っている。最初の三回まではお試しで無料で先生にチャットメッセージで相談できる。自分の個人情報を全て入れて、検査結果をアップロードする。先生にこれを診てもらえますか?と質問すると、助手のような人がもうすぐ先生が来ますと微信上に送ってくる。一回目の質問の機会は私は他のことをしていて先生のご登場に気づかず、無駄に消費してしまった。まだ二回チャンスがある。先生は「やっぱり感染ですね、薬を飲んでどうでしたか?」と聞いてくる。「お陰様で薬は効いています。検査結果は、他の問題はないという理解でいいでしょうか?」と聞いたら「そうです。症状がなくなれば、薬をやめて良いです」という。これでめでたし終了だ。

 

この先生とのデジタル診療サービスは今回は初回お試しでタダだったが、正規には1ケ月パッケージだと450元=約9000円(先生から毎月1〜3の質問、患者から毎回3つ質問できる診断機会5回。他の医師につなぐ必要のある場合はその手続き)を購入する。この他、一回聞くだけなら49元(約1000円)なども用意されている。金があって時間がなけば、これをつかえ、ということらしい。「好大夫」が以前提供していた公立病院の先生の診察券を窓口の数倍の値段で個別に売るという商売はなくなり、予約は全て病院の公式ネットに一括された。(日本から見れば極めて当たり前だが、昔は何でもありだったので大きな進歩だ。)

 

去年の2、3、4月と家族がこの病院に世話になったが、その時はまだここまで完成していなかったデジタル化がグッと進んでいて驚いた。X線、血液や尿などの検査結果は1時間後にスマホでで確認できる。金さえ払えば、病院に行かずともその結果についてその病院の特定の先生の判断を得られるようになった。

 

まだまだ、鉢巻をして臨まないと医師の前にたどり着かない、診察室にみんなが押し入るとか、一人の先生が患者に責任を持たないとか(毎回いくごとに別の先生が出てくる)システムやガバナンスの問題はあるが、それでも以前と比べるとデジタル化はすごい。ぐちゃぐちゃだった病院ルールがかなり透明化されスピードも上がった。医師の予約もスッキリ一本化されて取りやすくなった。

 

急速に変化もしている。中国の知人が言っていたことを思い出した。「中国の病院みたいにぐちゃぐちゃなところは一番デジタル化で民主化されるんです。」一理ある。

これ、本日の北京なり。

不動産、大丈夫か?これが噂の「鬼城」

河南の旅その2。なんでも巨大な人工的施設が溢れる河南。

鄭州から車で開封に移動。鄭州の街が見えてきた所からのっぽの巨大団地がニョキニョキと建っている。しかし、よ〜く見ると窓がなかったり、窓はあっても、エアコンが取り付けてあるのはごく一部だったりと、人気(ひとけ)が全くない。更にその付近には工事途中のまま放置されている巨大アパート群もある。半ゴースト物件が主要道路脇にずっと続いている。これは噂の「鬼城」じゃないか!

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鄭州の友人曰く、不動産バブルのころはこの辺りの新開発地区の不動産物件は人気で、鄭州からやってきて転がす投資目的で買い漁り、1m3、15,000元(約30万円)の値がついていたが、今は8000元でも売れないという。つまり、半額に値減りしているのだ。(つまり、100平方メートルの部屋なら3000万円だったのが今はそれが半分になっても売れ残っている物件となる)

かつては一面の麦畑だったのだろうか、何もない所にいきなり巨大マンション群を建てた感がアリアリで、人が住む温もりがない。地元の友人は”不适合人生活的环境“と言っていたが、まさに何も考えずにとにかくバブルだ、建てろ〜と建てて、今は放置。こういうスケールのでかいデタラメがおこるのもこの土地ならでは。誰も責任を負わないのだろうか?相続税とか不動産税がないからできる業でもある。

 

一例として鄭州市の経済を見た場合、鄭州の不動産依存度は29%と全国主要都市トップ。不動産開発投資は去年は19%減で景気は良くない。GDP 成長率(名目)は1.9%で、全国の24の兆G D P大都市のうち最下位。デタラメにロックダウンをしまくったゼロコロナでかなり影響が出ている。

 

鄭州といえば、人口900万人強(=人口1億人の河南省の16%)の省都だ。開封よりずっと経済力のある鄭州でこれだから、人口500万人弱の開封は言うまでもないだろう。経済の良くなさは歩いてみればあきらかだ。平日の午前中に巡った観光・若者むけストリートの書店街もショッピング街もほとんど無人状態で開店していない店も多かった。

 

ただ、物価は北京よりガクンと安い。タクシーの初乗りは7元で北京の約半額。市内の少し寂れた繁塔(これ自体は10世紀北宋時代にできた由緒ある石塔なのだが、ほとんど忘れ去られている)近くのレストランでした食事は十人分で300元以下!(北京だったら、二人で同じ値段だ)河南大学付近の有名なナイトマーケットに行ったが、こちらはみんな安い。毎日縁日みたいでこういうスローライフがあるのは素晴らしい。

 

街では電動シェアバイクが普及していて、私も乗ってみた。快適じゃないか!でもこちらはゾーン制なのか6元(120円)とられた上、駐車場が見つけれらず違反移動費用として15元、合わせて21元(420円)。タクシー以上についてしまった。

 

開封や鄭州に住んだらどうだろうね?と話していたが、生活費は北京の半分以下で抑えられるかもしれない、お金は掛からないだろう。ただ、ドロドロした地元感が強く、政府も北京以上にやりたい放題っぽい。予測不可能性が北京より高いな、と連れはいう。そして一番困るのはやっぱり友達。友人が生活の質を決めるからね。食べ物も北京よりは豊富だけど、広東や四川のようにすごく美味しいというわけでもなく、おしゃれ感も自然な田舎感もいずれも足りない。となると、やっぱりここには住みたいとは思わない。

 

地方から北京を見ると、全然違う景色が見える。もっともっと地方に行って知らねばと感じた旅だった。これ、本日の開封なり。

 

 

河南省の旅ーー1億の民、世界の小麦生産の18分の1を作る肥沃・巨大・人工の大地

春風に吹かれて、河南省に行ってきた。北京西駅から時速350キロでたった2時間半で約700キロ先の鄭州に到着(東京ー京都の約倍の距離)。30分おきに発車する高速鉄道の2等車で370元。便利で速い。そこから車で1時間強で50キロ移動して古都開封も行った。

 

2020年の河南省の小麦生産量は750億斤(=375億キロ)で、中国の約3分の1、中国は世界の小麦生産の6分の1なので、ざっと世界の18分の1を生産している計算になる。肥沃な黄河沿いの大地で、東西と南北の交通が交わる中国の交差点だ。

 

鄭州東駅は巨大で、空港並みの大きさ。なんといっても1億人が住み、1600万人が外に出稼ぎに出ている(子供人口の比率23%は全国4位なのに、労働人口は59%で全国最下位)。今や高速鉄道に乗るのに、紙の切符は不要で、駅構内への入退場は全てID  カード。私はパスポートをスキャンする。19年に天津に行った時はまだ完全にはシステム化されていなかったが、今回のコロナで完全にIDカード化が完成していた。

(因みに、これで誰が、誰と隣でいつどこへ行ったか、すぐにチェックできる。ホテルチェックインは更に顔認証もマスト。観光施設やお寺に行くのもIDによる完全実名制が全国で完全に導入された。水も漏らさぬ完全管理システムの完了だ。)

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そして、2021年6月に鄭州の郊外8キロに60億元を費やして開園したばかりの巨大観光・娯楽施設の「只有河南」(すごい名前!)に行った。面積は622ム。21の劇場でジャン・イモーの弟子の王潮歌が監督デザイン創作した劇を上演している。うち、2つを観た。意外にも色彩、衣装、照明が美しい。CCTV と街の広告に溢れるマッカッカがない。(もう、それだけで高く評価してしまう。その位、私の基準値は低くなっている。悲しい現実。)

ストーリーは河南の歴史的文物と現代の我々が交流するチックの話で日本で上映しても受け入れられるであろう一定の水準に達したものだった。つまり、テーマは愛コクではなく愛郷とその歴史。(似て非なるこの二つ。緊張関係にもなり得る微妙な関柄だ。)

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意味なく、大規模に仕掛け舞台になっていたりするところが、今どき風でごちゃごちゃしているが、まあ全体としては綺麗にできている。そして演者のちょっとした踊りとか動作が上手い。中国の人材は豊富だ。小麦の大地の巨大施設の巨大なエンタメ。北京では見られない中国中原。

これ、本日の河南なり。

 

 

 

 

SFなコロナ北京 朝起きたら隣のビル全員移送の巻き

13日に起きたら300メートル離れた隣のブロック一角4キロ四方が「コントロール地区」に指定されていた。そこの住人は缶詰め、そこに立ち寄った移動記録のある人もポップアップが出て、自由に動けなくなった。

 

そして、今朝起きたら、隣のビル全員が河北省に移送されると聞く。OMG! なぜ?22日にこのビルに陽性者が立ち寄ったと判明。でもそれだけで、ビルの住人全員、毎日PCRは陰性なのに!全員が7日間強制移送だ。警察と白い防護服と青い服を着た人がたむろし、大型バス(50人乗りに20人ずつ)がいっぱい外に来ている。

 

過剰反応としか言いようがない。オランダの友人は3月に息子が陽性になったけど、もう一人の子どもは普段通り学校に通い、5月の頭には皆元気にスペイン旅行までしてきたというのに。ヨーロッパ内なら旅行に行くのもPCRさえやらない、マスクもない。同じ病気か?

 

今回の移送、老人や受験生は家に残っても良いというが、それにしても、ペットはどうするんじゃ。そもそもそうする必要はどこから来るのか全く分からない。科学的根拠が無い。こんな風に集団で動けば、感染のリスクは高まるだけ。精神的にも肉体的にも疲れて抵抗力も下がる。お金もかかるし、もちろん連れていかれる人の日常を何だと思っているのだ。何も良いことはない。役人は最大限厳しく住民を管理したという「態度」が上から評価されるのだろうか?

 

理解も納得もできないのに、すぐ隣の人が連れていかれるのをただ自分は見ているだけだ。

反応しない能力なんて巷ではいうが、いや、本当にそれでよいのだろうか?

 

これ、綺麗に晴れ渡った5月晴れの重い北京の景色なり