本日の北京(2020年ブログ版)

軽く、リアルに北京を語るライターブログ

忖度しない意見を聞く度量

今日の朝日に学術会議任命否認の事で抗議した近代日本近代史専門の古川隆久日大教授のインタビューが載っていた。

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「政府が政策を決める際、専門家を集めた審議会をつくり、答申を得るというやり方がよく行われています。委員は往々にして、政府の方針に強く反対しない人たちが選ばれ、異論はあまり出ません。しかし学術会議は、政府から独立して選ばれた、広範囲にわたる多様な専門家集団です。まさに俯瞰(ふかん)的、総合的な観点から政府や社会に提言していく。政府お手盛りの審議会にはできない、セカンドオピニオンを示すのです。政府の意を忖度(そんたく)するようになってしまえば、存在意義がありません。その結果、政府が間違いを犯せば、損をするのはわれわれです」

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学者が政府の意を忖度するようになってしまったら、学者の存在意義がない。

さらに、その結果政府が間違いを犯せば、損をするのは我々。

この2点は全くその通りだ。

 

最近思うのは、問題の本質はどくさいかどうか、という体制そのもの、ではなく、政府が間違いを犯さないで、良い方向に導けるか、にある。しかし、歴史からみて、他人の意見を聞かないどくさいは間違いを犯す確率がずっと高い。だから、どくさいはだめな訳だ。

そして、その付けは全て一般庶民が支払わなきゃいけないのだからたまったもんだじゃない。

 

中国だって、文革で散々懲りて、一人じゃなくて、集団で指導しようぜとかトップは2期で交代よ、といった一人爆走防止策を導入した。また、とうとは違う国務院系の「政府機関」を強化もしてきた。今はそれが全て骨抜きだ。

 

誰だって自分に立ち向かってくる邪魔ものは退治したいと思うだろう。ただ、耳をふさいでしまったら、それは自分の弱みにしかならないのに。

 

日本も中国も忖度する人の意見しか聞かないというお上。つけを払うのは我々庶民なんだから、これはやっぱり困ります。

 

これ、本日の北京で思ったこと。