本日の北京(2020年ブログ版)

軽く、リアルに北京を語るライターブログ

速すぎる中国速度

昨日、私と同じ北京20年選手の戦友と話した。彼女曰く、最近、ダーリンが一回で用件を理解してくれないことにイライラしてしまう、という。

彼女は「ダーリンの理解能力が落ちているのかな」と心配する。私の見立ては、NOだ。

 

我々が北京速度に毒されているだけだ。近頃の中国は何でも速い。生き抜くにはとにかくスピード、スピード、スピードだ。

 

この言葉、「速度、速度、速度!」というのは、小学6年生のむす子の学校が中学の先生を招いて開いてくれたオリエンテーションで聞いた言葉だ。「中学生生活、大切なのは、速度(スードゥ)です。家に帰ったら、速度、すぐに宿題を終わらす、そのあと、速度、すぐに夕食を食べ、また、翌日の予習をする。スードゥ*3回!」

 

確かにそうだ。何でも速い。いきなり決めて、いきなりやる。怖いというか偉大というか、それでもどうにかできちゃう。

 

昨日の戦友のビジネスシーンでもでいきなり、一週間でポスターを作ってPRに加えると言い出したらしい。それでも、誰も驚かずにやる。なんと、デザイナーはたった2時間でポスターをデザインしてくれたらしい。速、印刷だ。す、すごい。

 

また、彼女の会社では、無駄な会議の時間を減らすために、ボスは1分のタイマーを持ってきて、発言は1分以内厳守だそうだ。それをすぎると、言い終わっていなくても強制終了、フィニッシュだ。すごい。

 

ゴールを明確にして、無駄なく、そこにシュートしていく。それができるかは、中国でビジネスをする上では死活に関わる。

 

我がパートナーの電話連絡なども恐ろしいほど無駄がない。いきなり主題、骨組みだけ、贅肉ゼロの伝達で、終わったら即切って、1秒も無駄にせずに、その電話連絡で必要になったじぶんの仕事に取り掛かる。

 

こんなペースが当たり前なのだ。仕事は確かに速く効率的に進むから良いのだが、日本的な余韻は全くない。(中国の人が著しく余韻にかけるのは、映画館で映画を見るとよくわかる。最後のテーマソングがかかって3秒で全員立ち上がる。)

 

環境は人を変えるというが、毎日、周りがそんな感じだから、気がつくと自分も何かやたらとあくせくしている。ポイントのない話しに耐えられない、用件は?で、私は何をすれば良いのでしょうか?という感じになる。

 

だから、私の戦友がパートナーのスピードに耐えられないのは、彼が遅くなったからではなくて、彼女が北京スピードに毒されたからではないだろうか。

 

彼女も私も日本のLOFTなどで悠長に丁寧に包んでくれるサービスとか耐え難いという。丁寧に両手で札を渡されたりすると、「もう、良いです、そのままで良いです」と叫びたくなってしまうのだ。

 

これ、日本と中国の異なるスピードなり。