昨日は北京に初めて遊びにきてこちらの男性がケア的で優しすぎてびっくりした、食べ物もフルーツもどれも美味しかったと感激して戻って行った40代のアーティな女子から質問されたことを現地の知的な60後の友人たちに聞いてみた。
つまり、ぶんかくのことを一般の人はどう思っているのか?と。
彼らの答えは公式には7・3だ、という。これは髪型ではなく、政治の国であるここでは、毛の評価だ。7は国をにほんのしんりゃくから守り独立させた功績で、3は混乱させた罪。これは彼の死後に鄧小平が言った言葉。元祖はソ連のスターリン評価の言らしい。
これをしっかり否定してしまうと、このくにのとーちまで否定することになるので、3程度で終わりにしたという。そしてその時代に迫害を受けた彼らの父親たち、すなわち67、68年ごろの20代、30代だった人たちはもう90前後になり姿を消している。
その当時、紅 衛兵だった50年代生まれの人たちはおそらく当時は彼らの人生の青春とも重なって人生のピークだったはず、という。そもそも、彼らは全てに置いてタイミングが悪い一代だ。生まれてすぐ飢え(1959年のきが)、就学時期になったら学校は閉鎖され下放(67年からの10年のぶんかく)、ようやく町に戻ってきて、結婚したら、子供は一人に制限され(一人子政策)、働いてまもなく国有企業で首切りの波(90年後半の下岡)、という最もついていない世代。その中で、ぶんかくちゅうは一瞬だが、時代の”ボス”となり、やりたい放題だったわけで、人生のハイライト、という人も少なくなかったという。なるほど。底辺のエネルギーを爆発させ、それを利用したということか。
そう話す彼ら60年代後半〜70年代生まれはぶんかくと言ってもまだ子供で濃い影響はない。むしろ改革開放に舵を切った80年代後半以降に青春を送り、私企業や海外文化の流入など新時代の波の第一線に立ち、利も得た最もラッキーな世代だ。
80年代生まれになるともう一人っ子でワイルド感は消え管理された消費中心社会に向かって行ったが、80年代は欧米へも目が向き、日中蜜月時代でもありで海外文化に憧れた世代。でもすっかりノンポリな世代でもある。
ということで、ぶんかくに関してははっきりさせない。もうを否定は絶対しない、という制限の中で片目を開けて、片目をつぶって今日まできた、ということらしい。
そうそう、もう一つ、その時に両方がまおを支持していながら、内部でも派閥同士の争いが勃発し、内戦になりそうなくらいだったという。その時の恨みを彼らの親たちは死ぬまで忘れなかったという。そういう複雑に激しい歴史の中でここの人たちは生きている。
これ、本日の7・3のお話也