本日の北京(2020年ブログ版)

軽く、リアルに北京を語るライターブログ

100M水没もなんのその、記憶も水没?あるのは明日への奮闘のみ:三峡の港町、重慶・万州

先週は重慶市の万州という揚子江の港町に行ってきた。
20年前に長江の三峡ダムのために水をせき止め、街の2/3が水没し60万人が移民させられた。現在は170万人が住む長江の4級地方都市だ。
北京からは毎日1本だけ直行便が出ている。飛んでいって驚いたのは飛行場は山の天辺を削って作ったところ。帰りによくみたら、真っ直ぐにのびる滑走路の先は断崖絶壁。助走してタイヤが地面に擦れる音がなくなったと思ったら機体は持ち上がっていないのに既に我が飛行機は空中にあり、エンジンで空飛ぶ音に変わっていた。
窓の下に広がる霧で白くなった景色の先にはよく見ると長江がニョキニョキと蛇行し、それにしがみつくようにしぶとく生き延びているこの街が見えた。
写真にあるように、この港街で最も栄えていた岸辺の中心部は6割以上が目の前を流れる長江に沈んでいる。人々は移民させられた。

三峡ダムで街の2/3が水没した。移民博物館の写真資料より
一方で、かろうじて残った3割の山の天辺に当たる土地に、その後20年の間に30階建ての高層ビルを所狭しとニョキニョキと建てている。綺麗な遊歩道も整備され、マラソンをするには最高の環境もできている。
まだ、建設中や建って間もないキラキラの近代的なビルの前を日焼けしてシワシワのお婆さんが籠に野菜や果物を入れて地べたで売っている。砂漠の淵で人々が早足で歩く北京とは明らかに違う湿度と空間と時間。
そこでは、まるで何事もなかったかのように53度の白酒(レモンの白酒とやらも飲んだ)とピリ辛BBQ魚(20年前からブームになったこの料理は万州が元祖らしい)を食して闊歩している地元の人たち。「最初に上海に移民した人は一番得したよ。あっちの不動産を転がして儲けて、戻ってきてここでも不動産を買っているよ」とあっけらかんと話す。彼らをみて、中国の発展の乱暴さとそこで生きる庶民の異次元の活力に圧倒された。
どおりで家に閉じ込められる(だけ?の)ゼロコロナくらいでは彼らはびくともしないわけだ。先祖代々の墓や家、畑のある土地から追い出され、自分や親戚はどこか別の土地でゼロから出直せ、といわれてもやってきた人たちだ。
この辺の感覚は本当に私にはわからない、苦労の連続の中国の人にしかわからないリアルさなのだろう。彼らには「どう生きるか?」以前に、まさに、生きること自体が問われてきたのだろう。これ、万州で感じたことなり。
 
PS長江に浸かったの巻き
マイナス天気の北京と違って万州は20度前後もある、南は良い。長江で元気に泳ぐ市民たち。そして、長江に行ったことを体感しようと、水に触りたい衝動にかられた私はこの階段を下がって屈んで手を出そうと思って足を一歩進めた瞬間、階段の緑苔がくにゅ〜っと私の足をさらうではないか。すってんころりん!半身ごと長江に浸かってしまった。
幸い尻餅だけで大きな怪我なく無事。ただ、その後はピタピタというジーズンから水が滴る音とクチュッ、クチュという靴から聞こえる不思議な音をさせて地元の洋服店に飛び込み、着替えをゲット。ずぶ濡れの私を更衣コーナーに入れてくれる(電子レンジがあるスタッフ用スペースだったけど)大らかさに救われた。
教訓:南方の苔には要注意!(北風に擦れっからしの北京には苔なんてありません!)