本日の北京(2020年ブログ版)

軽く、リアルに北京を語るライターブログ

情か理か

先日知人と話をしていたら彼はこう言い切った。中国人は法なんて信じていない、法律は上がいじめるためのものだし。あるのは情だという。

 

なるほど、日本でも漱石が「理を語れば窮屈だ、情にさをさせば流される、兎角この世は生きにくい」といった通り、情と理の葛藤はアジア人にとって近代理性が突きつける矛盾そのものとも言えるかもしれない。

 

そして、中国の答えは明快だ。一貫して情が最も重要なのだ。だから、理と情にかなう、という言い方をするが、中国語では「合情合理」と情が先に来る。

 

いくら理屈をといても、情にかなわないと、中国では絶対だめ。その反対は全然OKである、と。

 

これは鮮やか。本当にそうだ。北京などの大都市だけ見ていると分からなくなるけど、中国も地方にいけば、どっぷり封建的で古い気質が生きている。

 

法律なんていかにその縛りを受けない様にやりぬけるかが腕の見せ所としかみんな思っていない。

 

これ、中国専門家の鮮やかな分析なり。

 

追伸

そして、この人曰く、そもそも理と情を分けるデカルト以来の近代思想は無理があると。人間なんだから分けられないのだと。ん〜確かに、色々ないみで近代思想は行き詰まっている。理と情は分けられない、別々じゃない、というのは啓蒙主義の全否定の危険もあるけど、その一方で、今の行き詰まりを打破する一つのヒントがあるかもしれない。