本日の北京(2020年ブログ版)

軽く、リアルに北京を語るライターブログ

料理は女の仕事? 半沢直樹のファンタジー

「料理は女の仕事?」今の若い人はそう聞いたらどういうだろうか?「僕もかなりやっていますよ。」「もちろん、手伝っていますよ」と言う人も多いだろう。でも、「全然、まだだ」と確信したのが、半沢直樹2に出てくる夫婦像だ。

 

妻は美味しい夕ご飯を作って旦那の帰りを待つ。カメラは愛情たっぷりの夕食の皿を映し出す。こんな男性目線のカメラショットはアメリカや中国の人気ドラマには絶対に出て来ない。勿論、そういう愛の表現もアリだけど、何とも日本の良妻のステレオタイプじゃないか。

 

(因みに家事を自分の仕事と認識して毎日こなしている男性は「手伝っている」という第3者的な表現は使わない。)

 

昨晩、同居で母の介護をしている50代の兄と80代の父が「土日は嫁さんが疲れてしまうから昼は作らない。出前にしている」とメールしてきて驚いた。そりゃそうだろう。嫁さんは寝たきりの母の介護でクタクタのはずだ。食事の準備位、健在に毎日在宅中の男性が請負ったら良いのに、全く他人事なのはどういうことだろうか?

 

この疑問(と言うかほとんど絶叫)を50代の男性の友人にぶつけたら、彼はムスッとこういう。「ちょっと待ってください。嫁さんが望んでいないのかも知れない。自分の台所に男性に入られるのはいやだという女性は多い。私の妻も私が入ると片づけ方が汚い、高い材料で浪費する、勝手に料理方法をアレンジして美味しくないなどさまざまな理由で嫌がります。」という。

 

なるほど。その状況はありありと目に浮かぶ。

 

でもついでだから言わせもらいたい。普段は料理しない男性がたまに台所に入るとすぐに「自分の作品」を作ろうとするのは悪い癖だ。お気持ちは察するが、やはり料理は日常なので謙虚になる必要がある。先ずは千本ノックと思ってつまらなくても基礎をマスターするまではアレンジせずに基本通りにやるべきだ。遊びや実験の料理は自分の趣味として暇な時にやろう。

 

公平のために、奥さんへの注文も。奥さんも一度旦那に任せたら、潔くどんなものが出てきても感謝して食べる心意気が大切だ。最初から完璧な人などいないのだから、なるべく批判はせずに建設的意見にとどめる。材料の浪費もアリ。その位の自由度は残さないと。細かいやり方まで口を出すのは、ご法度だ。

 

そうでもしないと永遠に日本の台所には男性が入場できない。北京辺りでは80代の夫婦でもとっくの昔から2人共上手に料理をしている。日本のキッチン、早くユニセックスになってもらいたいものだ。