本日の北京(2020年ブログ版)

軽く、リアルに北京を語るライターブログ

エレベーターでの「気まずさ」に生きる若者達

最近の中国の若者は90年代に私が北京に来て感動した太くて温かい(その反面、時に図太かったり、カッコ悪かったりすることもある)タイプの人とは正反対だ。

 

細い。ちょっと風が吹くとポキッと折れてしまいそうな感じだ。もちろん、よく言えば、敏感で繊細でもある。日本のまんがへの強い共鳴はそういうセンスゆえかもしれない。

 

去年の人気番組の漫才(じゃなくて、1人のトークだけど)ショーのお題「距離をおいて、でも繋がっていよう」のトークにちょっと寒い思いがした。

 

25階のオフィスに行くエレベーターでばったり同僚に出会った、「おお」「おお」と挨拶するが沈黙、まだ4階だ。相乗りタクシーで会社から45分の帰宅の帰り道が一緒になっちゃった。相手は乗った途端に寝てしまったのを見て、「ああ良かった」とほっとする。実はその相手も「しめしめ自分の狸寝入りがバレなかった」とほくそ笑む。コンビニで知り合いを見かけた、相手が店をでるまでずっと隠れてた、という細い若者達の胸のうちを語る面白話。

 

これって、自意識過剰で、深刻な自信不足ゆえの無駄なうごき?とおもえてしまう。もっと大らかにぼうっとするなり、勢いに任せて話すなり、自由にすれば良いのに。

 

こういう細やかで色々考えてしまう人が今の若い人達の間ではすごく共鳴を得るんだなあ。このトークの評価はすごく高かったし。

 

数年前から、気まずいおしゃべり(尬聊)という新語もある。みんな、色々なことに気まずさを感じている。自分でアッハッハと笑って誤魔化す太さや大らかさは過去のものになりつつある。

 

これ嵐のように急変する北京の若者の内心の風景なり。