本日の北京(2020年ブログ版)

軽く、リアルに北京を語るライターブログ

問答無用の隔離や封鎖に耐える我慢強さ

今日の朝日新聞、武漢、強権下の市中感染ゼロ コロナ拡大1年 クラブ客「世界一安全な街」より

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10月、武漢で始まった展覧会「新型コロナウイルスとの闘い」。会場は2月に仮設病院に改造された国際展示場だ。ベッドや防護服、医師が走り書きしたメモなどが並び、ウイルスの発見から抑え込みに至る経緯を紹介する展示は「歴史を創った壮挙」との言葉で締めくくられている。

 

 しかし、政府の果断な対応は、問答無用の隔離や封鎖と隣り合わせという住民の緊張や忍耐、犠牲と表裏一体だ。

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制圧した部分は壮挙だが、「その前」を全く消してしまうのは集団記憶喪失。

 

そして、問答無用の隔離と封鎖という住民の緊張、忍耐、犠牲と表裏一体、というのは本当にその通りだ。

 

ただ、この感覚は日本人の我々から見たものであって、果たして、中国の人はそう感じているか?これがかねてからの謎だ。

 

元より中国の人は忍耐強い、政府の理不尽な要求を呑むことに慣れている。忍耐力という能力があるとすれば、彼らは我々の倍くらいある。

嵐は来るもの、その時は風をよけて、吹き飛ばされないようにひたすら過ぎ去るのを待つもの、という考え方が「生活の知恵」で、「当たり前のこと」となっている。そんな時は嵐が過ぎ去ったらどうするかをじっと考えて待つようなところがある。

 

あと、時間の捉え方の感覚も大きい。以前、我が父が日本から北京に遊びに来た時、滞在期間は6日と話したら、こちらの人は驚いて「そんなに短いの?1カ月位はゆっくりすればよいのに」という。だから、私達にとって6日は一日一日が貴重だが、こちらの人は隔離の2週間は我々が感じる程長くない可能性もある。この辺も感覚が違う。

 

ということで、今回のコロナに関しては私の中で異議もいっぱいだけど、同時に不思議も尽きない。中国の人はこういうやり方をそれ程苦に感じていないようなのだ。これは「抑圧慣れ」というマイナスもあるが、それだけではないような気がする。

 

これ、本日の北京なり。