本日の北京(2020年ブログ版)

軽く、リアルに北京を語るライターブログ

批判的思考は白雪姫からはじめよう

中国の学生が書く作文はどんどんすごいことになっている。難しい凝った表現を使ったり、構造もしっかりしているのだが、わざとらしく、どうみてもあんまり本当とは思えない、作られすぎ。大抵が美談仕立てか、おくーにのためにがんばろうみたいな決意系に落とし込むタイプがすごく多い。

 

そんな作文文化に日本人のママは「本当のことを書いた方がいいよ」とアドバイスしたら、子供はなんと「ママ、作文っていうでしょ、それは文をつくるものなんだよ」と諭されたらしい。これは中国の教室では当たり前だからだろう。

 

優秀作文集とかが本屋で参考書として売られていて、それを写すのが中国の作文学習。みんな人民日報みたいな「正しい」だけでじつに楽しくない文章の達人を目指す。

 

批判は日本の軍国主義?などを批判するのは良いが、自分の家に関することは一切許されない。だから、批判的思考なんてことは訓練されない。「正しい答え」を先生が教えて、それを丸ごと完璧に覚える、それが中国の勉強だ。

 

そんな彼らにもちゃんと論文を批判的に読む力をつけてもらおうと、知人が10年かけて考え出した教育方法が、童話について、批判するという練習法なんだそうだ。白雪姫の童話で、いきなり王子がキスするのはおかしくないか?とかシンデレラがいきなり結婚しちゃうのは焦りすぎじゃないか?とか童話のあれ?をみんなで指摘することから始める。子供の頃に触れたから刷り込まれて当たり前と思っていたことにも実は色んなオカシイが潜んでいることを、この作業を通して理解してもらうのだそうだ。

 

なるほど。そうだよなあ。

 

他にも、読書会をしても、学生が本の要約しかしないと、ある名門大学院生はいう。自分の意見をとにかく言わない。つまり、そういうことは訓練されていないのだ。先生がこの本は資本主義の欺瞞性を表現しているとかいうと、それを丸暗記するのは得意だけど、じっくり自分でそれを味わって、表現することは学ばないからだ。

 

これだけ、しっかり勉強して詰め込んで優秀な生徒たちなんだけど、その先の自分で考えてそれを主張するという訓練が圧倒的に抜けている。もちろん、日本でだって、みんな幼稚になってきて、決してそんな知的なことはできてないのかもしれないが。

 

これ、優秀なトップダウン詰め込み式教育で育った子どもたちの苦悩なり。

007もびっくり!!!進化するカンニング

目的のためには手段を選ばず。これは中国でひしひしと感じるこの国の特色だ。あーだこーだ言い訳を言わずに、結果を出す、という潔さ、迫力がある一方で、何でも非道なことでもやっちゃう、という面もあり、よろしくない。

 

検定テスト?そんなの合格すれば、いいんでしょ?ということで、カンニングもすごいらしい。なんと、耳に小型マイクを一時的に埋め込み、答えを教えてもらうsystemさえあるとか。教えている生徒がどう考えてもそのレベルには達していないのに、トップの級に合格したという。そして、「彼の親はとー幹部だからね!」でみんな、あーそうか、やっぱり、と納得してましまう。そこで納得しちゃって会話が終わる。というところでこの問題の根の深さがわかってもらえるだろう。

 

だからこそ、強い電波妨害機が必要になるらしい。中国の大学試験期間は会場の近くでは電波妨害をだしているから、正常に電波が使えなくなることがあります、ご了承ください、というお知らせが毎年くる。それでも、今年もカンニングをした人が出たらしい。

 

履歴書なんて何の罰則もないとばかりにウソも書き放題。検定試験もカンニングもするわ、にせの証明書も出すわ、とにかくやりたい放題だ。私も驚いたのは、学校に在学証明と成績証明を出してくれ、と頼んだら、学校側はそんなものを出しても一銭にもならないからやりたくない。面倒だ。そこで、「あんたが自分で全部書類は作ってきて。はんこは押してあげる」という。「落第の成績は削除しても全然結構」というのだ。いやはや。この文化の違いには驚きだ。

 

結果を出せば何でもいいんでしょ、ということで、嘘あり、カンニングあり、粉飾あり。これは監視強化という強制的な方法以外に直す術はないのだろうか。

 

なかなか悩ましい強引さ。これ、本日の北京なり。

3人産んでも良いと言われても!? 未だに人々を縛る呪縛と不妊治療

2016年に35年続いた一人子政策に終止符が打たれ2人目もOkになり、2週間前に3人目も良いよとなった。しかし、「そんなこと言ったって、金と労力がかかり過ぎるから生めないんじゃんか!」とすごいブーイングが巻き起こっている。おっしゃる通り。中国の子育ては金も心もかかり過ぎる。

 

 

今日は「奇妙な蛋生」というイギリス帰りのオシャレな上海女性が撮った不妊症カップルや子ども誕生に関するドキュメンタリーシリーズの2話を見た。豆瓣で8.7と好評だ。

1話は四川省の田舎の不妊症の35歳のカップル。3年前の不妊治療は失敗、今回はその後2回目だ。元より決して豊かではない彼らにとって500万円以上もする治療費は大きな経済的負担。奥さんは治療費節約のために2000元(3万4000円)の麻酔さえかけないで、激痛に耐えながら卵子を取り出していた。

 

しかし、結果は甲斐なく失敗。その後、何と彼女は旦那の家から追い出されてしまう。旦那は不妊治療にかかった60万元(約1000万円)を女性が負担しない限り離婚書にもサインしない、という。旦那は「自分は伝統的な考え方の人間だ、子どもがいてこそ自分の人生は完成する。」「彼女が生めないせいでお金を使った」という。お母さんと二人きりのほとんどコンクリート打ちっぱなしのガランとした一軒家に冷たく重い風が流れる。

 

一方、追い出された方の女性は地味にひっつめにしていた髪を茶色いボブにして「ゼロから出直しよ」とスッキリしている。「やることはやった、相手は男尊女卑(大男子主義)で私のことは全く理解してくれていなかった」という。「夫婦の愛って双方向であるべきでしょ?」と。

 

他にも広東省の約10歳年上の男性が奥さんに頑張って生んで、という。そもそも男女には役割と責任がある。僕は働いて金を稼ぐから、妻には家のこと、子どものことをやって欲しいと。奥さんも、家の面で大して貢献できていないから、子どもを彼のために生んで報いたい、それが彼への最大のプレゼントと話す。

 

なんだか辛くなる。子どもが居るのは幸せだし、欲しいと思うのも当然だが、だからと言って今生きている二人の生活を犠牲にするのは本末転倒だ。女だから生まないといけないという縛りが未だに現役なのだからこれはどう理解したらいいのだろうか!

 

北京の大都会を闊歩する中国人女性とは全く別世界!息苦しい女の責任を押し付けられながら生きている女性が農村にはいる。心の奥の奥にまで入り込んだ中国の「伝統」は今日もそこで生きる人間を縛り続けている。

 

これ、北京から見た田舎の息苦しさなり。

夫婦別姓の次に起こる議論は?

中国ではあっさり70年前に夫婦別姓の権利を認めたので、別姓が定着している。子どもから見ると父ちゃん母ちゃんの姓が違うのはもちろん、自分と兄弟でも姓が違う場合もある。

 

さて、中国のように早々に夫婦別姓を実現した社会で、時代が下り男女間のパワーバランスや結婚のカタチが変って来た現代に起こる議論は何か?それは子どもの名前の命名権議論だ。

 

王パパと李ママから生まれた子どもは80年代までは「当然の事ながら!」王パパの姓を名乗り(李建国ではなく)「王建国」となった。そこには、子どもは父の家を継ぐものとする父系制社会のベースがある。その常識が見直され始めたのは79年の改革開放と一人っ子政策以降だ。

 

1980年の婚姻法改正では初めて「子どもの姓は父、又は母の姓とする」と改めてどちらでも良い点が加筆された。デファクトの父姓だけでなく、母姓を継がせたいという需要が増えた結果だろう。二人兄弟なら上は父、下は母姓というケースも珍しくない。

 

しかし、一人っ子政策が長くなってくると、今度は一人っ子同士の夫婦が誕生し、子どもを生む。男女平等の意識も強まっている。男尊女卑の観念から、女の子を間引きしすぎた結果、人口は不均衡をきたし、結婚では女子は売り手市場だ。両家が子供に自分の姓を継がせようと対立して譲らず、離婚するケースも出始めた。

 

そんな中で、彗星の如く登場したのが、複合姓のルールだ。2007年に戸籍管理を管轄する警察部門は初めての名前に関するルール「姓名管理条例(意見公募版)」を公表し、「子どもは父母双方の姓を名乗ることができる」と加筆した。この条例はその後14年間、正式には発布されていないが、中央の方向性として理解され、一部の地方政府はこれを実施している。

 

実際、2000年代から二つの姓を複合化した「梁寧浩然」のような名前の子供が私の周りでも一気に増えた。これは梁さんと寧さんの二つの姓を合わせた新しい姓だ。日本で言うなら杉本さんと川上さんの子供に杉本川上と付けてしまうわけだから、結構大胆だ。ただ、ヨーロッパでは複合姓は昔から一般的だったらしい。

 

梁寧君が将来、王張さんと結婚してできた子どもに梁寧王張花子と名付けるかどうかは不明だが、今のところ、命名ルールに漢字数は2文字以上6文字以内と規定されている。また、個人や国家の尊厳を傷つけるもの、さらに「毛沢東」と名付けることも禁止されているらしい。

 

中国で夫婦間バランス以外に子どものの複合姓導入理由の一つとして挙げられているのが、名前の深刻な重複現象だ。中国の张涛さんとか、王鋼さんや李明とかは多すぎてどちらの王鋼さんだかわからん、という状況がある。

 

夫婦間はあっさり平等を実現したものの、次の子供世代をどうするかで揉めて、創意工夫を凝らして発展しているのが中国のケースだ。夫婦別姓の後には、子どもの名づけ方で一揉めすることになりそうだ。

 

日本より先を行く中国の名前事情でした。

中国の夫婦別姓

日本では30年以上前から夫婦別姓が議論されながら、未だに先進国では唯一夫婦同姓が義務付けられている。確かに名前が自己表現だとすると、「旦那の人」になるのは何とも窮屈だ。具体的に書き替え手続きが面倒で、働く女性にとって不利なのは言うまでもない。

 

一方、中国では夫婦別姓だから、結婚しても私は旧制のままでいられて至極「真直ぐ」なまま。そして便利だった。さすが社会主義!女性解放ブラボーと思っていた。中華人民共和国建国後の一つ目の法律として「婚姻法」は1950年の5月1日に発布された。そこではあっさりと「夫婦は双方が自分の名前を名乗る権利をもつ」と書かれている。今の日本の別姓問題は中国では遠く1950年にこの一文であっさりとクリアされている。

 

現代に関しては日本より少なくとも70年進んでいる。実際、上海や北京の大都市部の女性たちはおおいに解放されていて、全く遠慮がない。これも私がここで居心地が良い理由の一つだ。ただ、夫婦別姓の歴史を覗いてみたら、ぞっとするほどの封建的な男尊女卑文化が背後にあった。

 

伝統的に中国では、妻は夫と「別姓で良い」のではなく、永遠に夫の家には入れなかったのだ。つまり、中国の父系血族社会では、嫁は子供を産むための外の人間として排除された結果、大家族の中で別姓でありつづけたのだ。

 

数年前に我が家でおきたこんなエピソードがある。夫の親戚が自ら編さんしたという家系図を持参してきた時、家族皆がわーわーと集まる中、義母は黙ってそっぽを向いたまま微動だにしなかった。私も野次馬で駆け寄って家系図なるものを覗いてみた。そこには義父や夫、娘と息子の名前はあったが、私の名前は何度もよく見たがなかった。外国人だからか?と思った。しかし、そうではなく、実は嫁だからだった。義母の名前もそこにはなかった。嫁は子どもを生むにすぎず、男の家系には入れない。義母が固まっていた訳がその瞬間に理解できた。

 

中国の儒教的封建文化は農村部では未だに深く染みついているが、都市部では核家族化が進み、随分さっぱり洗い流してしまっている。私は北京で生活する限り実に過ごしやすいが、農村はまったく別世界だ。普段北京では目にしない中国の根深い家文化の名残りを垣間見た瞬間だった。

 

これ、本日の中国の夫婦別姓のもう一つの側面である。

 

ヤッパリ!でも意外!中国のイヤホン

中国のイヤホンについて教えて下さい、と言われて調べてみたら、無線イヤホンだけで、2020年の売り上げは約1億台弱、前年同期比で23%増と伸びている。価格的には50ドル(5000円)以下か、逆に100ドル(1万円)以上の高級品が9割を占め、2極化している。

 

無線イヤホンの市場占有率では、意外とAppleが15.6%と断トツ1位。2位以下はファーウェイ(8.8%)、シャオミ(8.4%)、夏新(6.7%)、漫歩者(5.6%)だった。

 

私もこの前セールだったので、「安物買いの銭失い」とは知りつつも80元(約1360円)にそそられて、形は丸々Ipods風な(無名な会社のロゴが小さく入っているのだが)イヤホンをアリババのTmallで購入してしまった。

 

音質は驚く程良くてびっくり。電池もそここそ持つ。しかし、2カ月もしないうちに前後して、床に落下したら、イヤホンがパッカリ開いてしまい壊れてしまった。

 

「やっぱり」な展開。ただ、保証に「修理せず、新品と交換!」と書いていあるのを発見。アフターケアのページから土曜の夜中に写真を送ったら、配送料無料で送り返してくれと即座に返事があり、日曜朝一で受け取りに来た。広東のメーカーに只今配送中だ。この辺の保証の潔さと素早さが、この数年で中国のネットショッピングはガラッと変わった。消費者中心で、すごいことになっている。

 

ということで、音は意外と良かったけど、落とすとすぐパカっと壊れる「なんちゃってiPodsイヤホン」。でも、すぐに交換してくれるという幾つもの「やっぱり」と「意外」が混在している。

 

これ、本日の中国のイヤホン事情でした。

中国、来てみたら全然違ってびっくり!

とは、先日夕食をした北京上陸1年半の日本の30代サラリーマンの言葉だ。「来るまでは、本当に来たくなかった、なんか、汚いし、人々は乱暴で、尖閣の時みたいに反日的というのが専ら自分のイメージ。マジで、人事部に行って断ろうかと思っていたんです。」

 

という。だが、サラリーマンの運命でいざ北京に来たら、「あれ?思っていたのと全然違う。不自由な国だと思っていたのに、なんか、自由なんですよねえ。」という。

中国は大陸国家の独特の大らかさがあって、村社会的監視のプレッシャーがない、ということだろう。確かに、その通りだ。お上はめちゃくちゃ縛ばろうとしていて、ふじゆう極まりないのだが、一方、街に流れる空気は自由そのもの。なんでもあり!だ。

 

もう一つ、日本の大手企業の北京在住のボスが言っていたのが、「中国大好き、中国語もできる、と中国駐在に挙手する人は、意外と赴任して3日も持たないことがある」という。つまり、書道やシルクロードや漢詩の世界のエレガントな中国をイメージしてしまうと、残念だが、この埃だらけで強引な国にそれはない(少なくとも、そういう部分はかなり掘らないと出会うチャンスはめったにない)。

 

ということで、来てみてびっくり!

普段メディアや教科書で見る中国と実地は全然違った〜!そうなのです。

これ、日本で多いに誤解されている本日の北京の一面でした。