本日の北京(2020年ブログ版)

軽く、リアルに北京を語るライターブログ

中国の夫婦別姓

日本では30年以上前から夫婦別姓が議論されながら、未だに先進国では唯一夫婦同姓が義務付けられている。確かに名前が自己表現だとすると、「旦那の人」になるのは何とも窮屈だ。具体的に書き替え手続きが面倒で、働く女性にとって不利なのは言うまでもない。

 

一方、中国では夫婦別姓だから、結婚しても私は旧制のままでいられて至極「真直ぐ」なまま。そして便利だった。さすが社会主義!女性解放ブラボーと思っていた。中華人民共和国建国後の一つ目の法律として「婚姻法」は1950年の5月1日に発布された。そこではあっさりと「夫婦は双方が自分の名前を名乗る権利をもつ」と書かれている。今の日本の別姓問題は中国では遠く1950年にこの一文であっさりとクリアされている。

 

現代に関しては日本より少なくとも70年進んでいる。実際、上海や北京の大都市部の女性たちはおおいに解放されていて、全く遠慮がない。これも私がここで居心地が良い理由の一つだ。ただ、夫婦別姓の歴史を覗いてみたら、ぞっとするほどの封建的な男尊女卑文化が背後にあった。

 

伝統的に中国では、妻は夫と「別姓で良い」のではなく、永遠に夫の家には入れなかったのだ。つまり、中国の父系血族社会では、嫁は子供を産むための外の人間として排除された結果、大家族の中で別姓でありつづけたのだ。

 

数年前に我が家でおきたこんなエピソードがある。夫の親戚が自ら編さんしたという家系図を持参してきた時、家族皆がわーわーと集まる中、義母は黙ってそっぽを向いたまま微動だにしなかった。私も野次馬で駆け寄って家系図なるものを覗いてみた。そこには義父や夫、娘と息子の名前はあったが、私の名前は何度もよく見たがなかった。外国人だからか?と思った。しかし、そうではなく、実は嫁だからだった。義母の名前もそこにはなかった。嫁は子どもを生むにすぎず、男の家系には入れない。義母が固まっていた訳がその瞬間に理解できた。

 

中国の儒教的封建文化は農村部では未だに深く染みついているが、都市部では核家族化が進み、随分さっぱり洗い流してしまっている。私は北京で生活する限り実に過ごしやすいが、農村はまったく別世界だ。普段北京では目にしない中国の根深い家文化の名残りを垣間見た瞬間だった。

 

これ、本日の中国の夫婦別姓のもう一つの側面である。