本日の北京(2020年ブログ版)

軽く、リアルに北京を語るライターブログ

生々しく悩ましい「内巻」世代

中国の去年の流行語に「内巻き」ということばがある。

「内巻き」は、周りに遅れを取って淘汰されたら大変だと日夜、努力するものの、ゴールも進歩も意義も感じられない虚無感や疲労感、時に絶望感を意味する。私も僕もそうだ、と共感する人が多く、一躍、去年の流行語になった。

 

5月17日付けのNew Yorker誌でこの現象を鋭く書いた記事があったので、紹介しよう。

 

まず、この言葉の意味を紹介している。熾烈な競争に巻き取られて、終わりのない自己犠牲を強いられる、競争社会が生むひずみ。地位獲得競争の中の焦りや心配、ストレス、そして過労でもある。もし、尊厳のある人間として扱ってもらおうと願うなら、ピカイチの実力を示すことが前提になる、と若い人は感じている。

 

エリートの行く名門大学にめでたく入学した学生たちでさえも、この過酷なレースはエンドレスに続くことを悟り、自分がゴミのように思える、と使い始めたらしい。そして、エリート学生の多くが進む超熾烈な競争が渦巻く中国のIT産業でも広く使われるようになった。

 

生産性最大化の名の下で、非人間的で残酷な長時間労働を強いられるネット産業関連の各種配達員や、ITプログラマー、トップ大学に入ってもエンドレスに続く競争に晒される学生など、現在の中国社会の多くの人がこの『内巻き』な状態に置かれているという。

 

中でもこの記事が鋭いのは、現象の位置づけだ。内巻きという言葉は自虐的にカジュアルに今の若者たちが日常でも口にするし、Wechat記事にもよく出てくる。中国の人にとっても私にとってもそれ自体はなんら新しくない。ただ、この記事を読んでグサっときた。

 

「より正確に真実を表現したら、(内巻きなんてことばではなく)企業封建主義、搾取、もしくは精神的暴力というべきじゃないの?この内巻きシステムとはもっとはっきり表現したらIT資本主義者による権威主義じゃないの?」と鋭く指摘している。

 

中国の大学を卒業したての24歳の知人にこの記事を見せたら、彼女も「周囲の友人も自分もみんな、『自分が選んで巻かれている』と思っているが、それは集団的な無意識の中で麻痺していただけと気づかされた」と言っていた。全く同感だ。

 

この記事も『中国ではこうした過労を強いられる労働条件などは搾取でも圧迫でも阻害でさえもなく、まるで自然な悪天候のごとく論じられている』と指摘する。確かに「仕方ない、これが現実なんだから」という意識は中国では非常に強い。

 

ITの燃え尽き症候群(その結果世捨て人になって出家したり)などはアメリカのシリコンバレーでも見られることらしい。ITエンジニアの仕事はその本質において、魂をすり減らされる仕事だ。

 

ティックトックの若い社員を北京の本社で見て来た友人は、「一日中パソコンの前で作業を続けている彼らは目が死んでいて、反応も鈍く、まるでITプランテーションのようだった」といっていた。

 

以前から中国にも日本にも長時間、身を粉にして働く人はいるが、終わりの見えない虚無感と突き上げられる煽りが違う。そして中国の場合、もう少し社会を斜めに疑問視するロックな若者文化や、ストライキなど異議を表現する選択肢もない。ここが、同じ殺人的競争社会でもあるアメリカと違う所、と作者はいう。

 

おいおい!これおかしくねーか?と言えない閉塞感。同時にもう一つのガンは、画一的な人間の評価体系(現在の社会風土)かもしれない。受験競争にせよ、キャリア成功願望にせよ、成功のカタチがあまりに分かりやすい単一基準で多様性がない。

 

これ、ニューヨーカー誌が伝える中国の若者たちの生々しい悩ましい姿なのでした!