本日の北京(2020年ブログ版)

軽く、リアルに北京を語るライターブログ

独身人口2億人!若者はなぜ恋愛できないのか?

先日会った20代の記者の友人が微信に出していた『人物』の記事。面白かったので紹介する。題は「なんで恋愛はますます難しくなるの?」だ。

 

2018年の中国の成人の独身人口は2億人、独居人口は7700万人(民政部)。でも恋愛をする努力はしている。38%の独身が23才前にお見合いをし、24%が23~25才でしている。でも90後の恋愛経験は2回以下に過ぎないという。(←大学まで恋愛厳禁なんてやっているから中国の若者は恋愛経験が乏しい。でも、最近は日本の若者も恋愛しないらしいが。)

 

この現状を復旦大学中国文学教授の梁永安が分析する。この人は小説の愛の分析から、今や恋愛、愛の専門家として知られているらしい。彼の浮気と現代社会などの部分も深くて面白いが、主に中国の非恋愛体質についての部分を引用する

 

「愛とは元々人の為に少しだけ多くしてあげたいと思う事なのに、一人っ子で育った若い人はその能力がない。愛情はまるで買い物のようになってしまった。ご飯を作ったのだから、感謝せよと求める。でも本当に必要なのは尊重されていると感じる事、別に利害のためにやるのじゃない。さらに、若い人は家の高騰などの社会的影響を受けて実利主義になっている。愛に対する信仰が薄い、又は逆に極端なロマンチストかに陥りやすい。

 

家など生活水準に対する期待がどんどん高まるにつれ、相手にその圧力を押しつけ、自分を救ってくれることを夢見ている人が多い。恋愛が表面的、実利的になってしまっている。それは、二人で何かに打ち込んで一つの世界を形成するという感情の自然な成熟がないから。

 

愛の最高レベルは心身共に融和でき、価値観、生活観などが一致し、一緒に居るのが幸せな状態。しかしこういう関係を築く前提は価値観や思想など精神世界を持っていること。こういう人は中国にはまだ少ない。それは、過去においてずっと戦争や革命、階級闘争などに明け暮れ、正常に過ごせる時間が少なかったからだ。

 

例えば日本ではちょっとした日常の会話のしかた、交流やその表情、人の行為や愛の表現など歴史や伝統の常態を感じさせるものがある。成熟した社会の証だ。それとは対照的に中国は強烈な社会変化にあり、人は劇的な時代の起伏に合わせて今はこうしたい。時間が経つと今度はああしたいと願う。世代間で、いや一人の人間でも異なるステージでさえも分裂・断絶が溢れている。連続していない。

 

でも95後や00後は戦争も無く安定した時代に育った世代。愛情を常態として捉え、新しい生命観や愛情の意識を形成してくれるのではないか。」

 

なるほど。一つには一人っ子世代ゆえに「お姫様」的。人に自分が何かしてあげることから始まる愛する人間関係を作れない。社会の激変とそこでのサバイバルに急ぐあまり、人々は自由恋愛を諦めて、物質面を求め、愛が功利的になってしまっている。

そして、もう一つは時代が速く変わり過ぎた。そのため、落ち着いた文化的土台が共有されていない。あちこち、自分の中でさえも人格が分断され、精神的世界の共有が難しい。

 

中国に限ったことではない。人間が貧弱に荒廃して、相手を信頼してこちらも頑張るという循環が作れない。愛が取引のように変質し、それ故に短命なのは、日本もアメリカも同じ傾向だろう。これは時代の流れなのかもしれない。そういう大きな流れの中で、中国の場合はまた、中国特有の要因もありそうだ。

 

愛は人間が生きていくのに最も必要な部分。

国家、いやいや人類の命運にかかわる深い話題だ。

これ、本日の北京なり。