本日の北京(2020年ブログ版)

軽く、リアルに北京を語るライターブログ

自信あるよ。でもオスカーはダメ

オスカーで38歳の中国出身の女性監督コレオ・ジャオが賞を総なめした。自分よりずっと年下の同じ女性がこんなに活躍しているのだから、本当にすごい。

 

中国の人だったら、更に同じ同胞の中国人!と重ね合わせて感動する第ニュースのはずなのだが、この日のニュースには登場せず。今年のオスカーは例年と違って初めて、中国では一切関連ほーどーはきんしとなった。大手の動画サイトで彼女の名前を入力したが、何も出てこない。

 

百度で彼女の中国名を漢字(ジャオティン)で入力したら、変換候補に出てきたトップの言葉は「中国を辱めるジャオティン」だった。

 

一体彼女は何を言ったのか?インディアン保護区の映画の話をしながら、そこの若者と自分が中国に居た頃のことを重ね合わせて「私が若かった時に手にしていた多くの情報は嘘だった。そして私は周りの家族や自分の背景に対して反抗的になった。私はイギリスに行き、自分の歴史について新たに学んだ。政治科学を学ぶことは自分にとって何が本当かを知る方法となった。情報で自分を武装し、またそれに挑戦するの。」

 

2013年8月21日のIndependence Filmでのインタビューだ。

これをわざわざ掘り出してきて問題視して「彼女はわがくにを辱めた」と主張しているとすると、相当ピリピリしているというか、おどおどしているというか...

 

これ、残念な本日の北京なり。

 

その一方で、市井の人たちの世界の映画への感度はすごく高くなっていて、日本はもちろん、イランからインドから日本でも未公開な映画までかなりの数の人が見ている。上と下の温度差は広がる一方だ。

 

ハイテク化されても緊張感は変わらん病院

久しぶりに最近は相棒の骨折に付き合って、地元の病院に通っている。

この積水譚病院は北京オリンピックの時も指定病院になった外科方面では北京一有名な大病院だ。

 

ところが、松葉杖や車椅子の患者を見る病院なのに、迎え入れる本館入り口には10段位の急な階段が聳えている。(急なカーブを下がって地下からか、裏口に回れば車椅子用の入り口もあるのを後から知ったが、案内もないし、いかにも遠い。)

 

敷地内への車の乗り入れも長蛇の列だし、タクシーはNGなので病院の敷地前で降りて、えっさかほっさか行くしかない。

 

で、ようやくビル内に入ると、わが相棒は鼻の穴を大きくして、「僕のことはもう良いから、早く受付に行って並んでいてくれ」とかいう。

それじゃ一緒に付き添った意味がないじゃないか?と日本人的な発想が頭をよぎる。でも、確かにあの空間に入ると、一刻も早く右往左往する群衆にめげずに、あるべき治療を受けて帰らなくてはならない、という生き残りをかけた気合が湧いて来る。患者に付き添ってノロノロしていたら、何もしてもらえず「没有メイヨ」とか「不知道」とか「今日は終わりだ」と言われかねない。

 

とにかく、人が多くてごった返している。様様な理由で割り込む人もいっぱいいる。

 

一方、自動化は進んでいる。受診受付もレントゲン写真受け取りも全て機械。予約しておいて、健康保険カードを入れて、ウィーチャットでお金を払うと受診票が出てくる。

 

ただ、それを持って指定の階に行って並ぶのだが、そこからはハイテクでなくローテクワールド。指定の課で待っていても、抜かされたら大変、入り口で気合を入れて自分の番を待たなくてはならない。

 

待合の椅子も少ないので、松葉杖なのに、相棒は立ったまま。昨日は誰も席を譲ってくれなかった。石膏がわるいのか、敏感肌なのか、ギブスの中で化膿しているらしい。毎朝、起きるときにかなり痛いらしい。そう、先生に訴えても、骨優先だから、「没事」「没弁法」(「大丈夫」、「仕方ない」)と言われて終わり。

 

月や火星まで行く技術とカネがあるなら、ギブスで肌が化膿しないような技術を先ずは開発して欲しい。どうにかならないのですか?などと先生に質問していると、どんどんドアを開けて次の人だか、前の人だか知らんが人が押し入ってくる。先生も面倒くさそうな顔をして、もう何も言わない。

 

レントゲンは、まず、医師にその指示書と請求書をもらう。それを持ってまた並んでお金を払って、レントゲン課に行って順番を待って、撮ったら、約30分後に自動プリンターの前に並んで自分で取って、それを持って再び並んでさっきの医師に診てもらう。

 

全ては、自分で一々前払い、そしてどこもが長蛇の列。松葉杖の患者がこなせる技じゃない。

 

後払いの日本で思わずドロンしちゃう人がいるらしいが、そうしたくなる心理はこの中国国内のまずはカネを支払ってからサービスという「鉄則」にある。

 

単にギブスのレントゲンを撮って、先生がそれを3秒見て、「没問題 大丈夫」と確認するだけの診察なのに、とにかく、割り込まれないように、必死に順番をチェックし続けてドアの前で構えていないといけない。家に戻ったら、相棒は瞬時に眠ってしまった。本当に疲れる。

 

全身の集中力を最高値にセットして、戦闘態勢で臨まないといけない。終わると妙に「無事診察できた」という大きな充実感?に包まれる。まあ、「私って、生きているな!」と感じられる瞬間でもあるのだけど、やっぱり、もう少しエレガントに病人らしく受診したいものだ。

 

これ、北京一番の接骨外科病院の昨日の風景なり。

 

 

ついに我が家の下まできた「違法建築取締り」という名の破壊

市長が替わってから看板を取り締まったり、ストリートごと潰して(つまり、何十件という商店を閉鎖して追い出し)「緑化」したりと、すごい勢いで街の中が破壊されて、「整備」されていた。それから数年静かだったが、去年の秋以降、私の住む区のけーさつ担当部長が替わったらしく、そのせいか、ガンガン又壊し始めた。我が家のすぐ前の小さな野菜を売るような市場は壊滅的な打撃を受けている。

 

我が家の家の下はちゃんとした小さな商店がちゃんと過去20年律儀に商売してきた店ばかりなのに違法建築という言いがかりをつけられて、店の頭の部分を削る工事をやることになったという。店頭が少し公道に出っ張って乗り出しているということらしい。違法といえば、そうなのかもしれないが、なんともブルドーザーな政策だ。上の人が替わったから、突然やるというあたりもじつに中国的。

 

地域との相談とか、補助など皆無。あるのはトップダウンの命令だけだからすごい。庶民はひたすら黙って耐え凌ぐしかない。ただでさえ、コロナで長いこと店を閉めさせられていた小さな商店にとって、この打撃は大きいだろうが、誰も何もいえないし、言わない。黙って見つめている。

 

なんとも不吉で不条理な街の景色だ。

これ、本日の我が家の下なり。

コロナでコロリと閉鎖のモール

先週、アパートのおばさん軍団のグルチャで駅前のモールにコロナ陽性だった人がきて、閉鎖されたと聞いた。

 

その日、モール内のカフェに電話して「患者が出たから閉鎖って聞いたけど、今日は本当に営業していないの?」と確認したら、「ああ、来ないで。」という。実際、モール前まできたが、説明もなく、「暫定的に営業中止」とだけ書かれていた。消毒後の翌日になったら開くとおもいき、開かない。結局、一週間休んで開ける、というお知らせがモールの公式サイトに出ていた。

 

陽性と後から分かった人が知らずにここの飲茶屋さんに行ったらしい。その飲茶屋だけは、モールのほかの店は再開した今日も閉まっている。外で掃除をしていた飲茶屋の従業員に「患者が来たから閉まっているの?いつ開くの?」と聞いたが、下を向いて「よくわからない、まだ決まっていない」という。なんか、聞いてはいけないことを聞いたかのようだ。

 

同じ系列の大興区のモールに変異型の患者が寄ったとは北京市の発表であったが、それは、このモールじゃない。何でここが閉まったかは、噂でしかないし、まだ閉鎖が続いている噂の飲茶店も「品質向上のために休業致します」と書いてあるだけ。よくわからん。

 

何ではっきりさせないのか?

はっきり言えない事情があるのだろうが、この辺がいかにもである。

 

そして、また再開したモール内のカフェには何事も無かったかのようにみんながガヤガヤやっている。

本当に、誰も気にしていない。

嵐が来たから、過ぎ去るのを待ったまで、「自然災害の」嵐の原因を追及しても仕方ない、とでもいう感じだ。

これ、本日の北京なり。

こんな夢をみた

四捨五入で90歳になる父が最近、良く夢をみる、こんな夢をみたと言って話してくれた。

 

昔、何里も離れたおじさんの家からの帰り道、道なきあぜ道を通って良く迷った。この時も迷いながら、日が暮れて暗くなってようやく、家に辿り着いた。入り口には母が外に向かって座って待っていた。

 

ああ、帰ってきたかい、早く中にお入り、とお母さんが言う。

父は入り口でふと考えた。

いくら貧乏な粗末な我が家とはいえ、今日はやけに天井が低くて、狭い。

母は早くお入り、と呼ぶ。

腰を屈めて頭を低くしないと入れない。

そうか、これは墓だったのか!

と夢の中で気づいた。ーーー

 

「不思議なもので父親の夢は見ないのに、母は時々夢に出てくる」とも言い加えた。

「もうすぐ、お母さんに会えるかも知れない」と。

 

この話を聞いて、私は大きな声であかるく笑うしか無かった。

だって、しけ込んでもバツが悪いし、これはそんなに悪い話では無いからだ。真っ暗なブラックボックスが待っていると考えると怖いが、父が愛するお母さんのところに行けるのなら、怖くないだろう。

 

でも、息子は「ちっともおかしくないないのに何で笑ったりするんだ!」と怒っている。青いというべきか、優しいというべきか。

 

これ、我が家の爺じの夢の話。

 

ついにきたか、ロボットに面接される日

本日きいたはなし。最近はガン手術でもロボットがかなりの精度の手術をできるらしいが、それだけではない。今や面接ロボットができて、これにお願いすると人間以上の精度で良い人材を合理的にセレクトしてくれるという。

 

ついに、ロボットの前に人間が汗をかいて座り、自分の価値を判断される時代がきたらしい。

そのうち、ロボット面接に受かるための塾とかできるのだろうか?

会社の人事部は面接の時間を節約して、より創造的な仕事に時間を使えるという。

人間が人間に会って、判断することより創造的な仕事って何だろうか?

SFがどんどん、実現していく。ロボットに好かれる10の秘訣、とか真面目に人間が考えはじめるかもしれない。

 

これ、どんどん人間がロボット化する北京の日常なり

教育局の記者会見「宿題を親に転嫁したり、親に宿題の添削強制を禁止、見つけたら厳罰に処す」

今日の題は昨年12月10日の中国教育省の兪偉躍・基礎教育部部長による記者会見での発言。親の宿題添削を厳禁ってどゆこと?子どもが自分の宿題を完結している日本人には訳が分からないだろう。

 

こうゆうことである。中国の義務教育は塾の如く猛烈に詰め込む。良く言えば先生は「結果」を出すために真剣で、子どもにかなり加圧する。親も厳しい先生の元でガンガン点を取れる子供にしてほしいと願っている。

 

加圧された子どもは膨大な量のテスト演習をする。自分の子供の成績が伸びることを強く望んでいる親がプレチェックして子供の学習に二人三脚で貢献せよ、ということで、これが当たり前のようにず~~~と励行されてきた。

 

我が家の子供たちも3年位前までは親が宿題のプレチェックをさせられた。彼らの宿題に漏れや間違いがあると親は先生に「もっと真面目にやらせてください」と怒られる。親は「すみません」と先生に謝り、子供には怒る。

 

我が家のアパートの中古品交換グルチャに出てきた話では、中1だった時の英語の先生は毎日英作文の宿題を出し、文法やスペルを親にプレチェックさせた。子供が間違ったまま出すと親へ「ちゃんと監督して下さい」と御叱りが来る。しかし、この親は「おかげで娘は英作文はOKになった」と親を巻き込んだ特訓を高く評価している。先生も親もそれが当たり前だった。

 

それが、ここにきて「これっておかしくないか?」と問う新しいタイプの親がでてきて、問題化している。

 

政府は「親に添削の義務を転嫁することを禁じる」と先生に言い渡したのだ。中国では新鮮なので、この1年半位、庶民のホットな話題になっている。

 

そもそも、この政府方針の転換はなぜ今、起きたのだろうか?親の教育観の変化か?以前の孟母一色でなく、リラックスして達観した親が出てきて主張し始めたのだろうか?であれば一種の進歩だ。

 

もう一つの可能性は、疲弊する親子を政府も心配し始めたということだ。親は不満が爆発寸前まで溜まり、子どもは自殺や鬱に陥るケースが増えている。原因は毎日の宿題や勉強での衝突だ。

子供の宿題のことで子供を叱り、罵倒し、叫んでいる中国の保護者はあまりに多い。近所隣から親の怒鳴り声が聞こえてくると皆言う。

 

日本や西欧では子供が自分の宿題をやって大人は関わらないのは当たり前だが、中国では「革命的」だ。変化は歓迎したい。

 

これ、本日の北京なり。