人はどうして全く違った考えや習慣を持って育つのだろうか?
期せずして昨日はそのカラクリが端的に見えてくる話を聞いた。
中高生の姉と弟がいる家のママがこう嘆く。
「何でもう、うちの娘は高校生なのに、平気でシャワーの後、ろくに服も着ないで家を歩き回るのかしら?弟も同じだし、彼らはお互いを見ても何も変とは感じていないのよね。」と。
我が家はもう少し節度がある(えへん)。「え〜それはまずいよ」などといったが、よくよく聞いてみたら、その家ではどうやらパパも娘を嘆いていた御本人のママもシャワー室から自分のタンスまでは開放的に移動しているらしい。
子供はそういう環境で育っているから、それがごく「普通」だと思うのだろう。無理もない。
あと、ひと昔前の日本男子は有能な奥さんに頼り切って、堕落しているという話のなかで、昔アメリカのドラマでは、旦那さんが食事の後にお皿を洗っている場面がいつもでてきて、あれ?アメリカではお父さんお皿を洗うのか?と衝撃を受けたのを覚えているという。
これも、また、子供にとっての重要な環境だ。
そういう物を見て育ったかどうかで、次の代の常識も自然と変わってくる。
裸で歩き回る家で育てば、それが当たり前の基準になる。そう思うと、やっぱり親の責任は重大だ。夫や周りの人への接し方など、子供はよ〜く見ていて、知らないうちに、忠実に真似をしているのだ。
裸でブラブラする明るい家のエピソードで学んだ、家族の影響力。
これ、本日の北京なり。